1. 事務所のボトルネックは「所長の机」の上にある
「所長、A社の申告書、チェックお願いできますか?」
「ごめん、今から顧問先の対応だから戻ってから見るよ」
月末や申告期限が近づくと、事務所内でこのようなやり取りが増えていないでしょうか。
スタッフは自分の作業を終え、検印をもらうために所長の机にファイルを置いたり、チャットで申請を送ったりする。
一方で、所長は外出や来客対応に追われ、机に戻るたびに増えている書類や未読通知を見て、胃が痛くなるようなプレッシャーを感じる。
もし、あなたの事務所でこの光景が常態化しているなら、少し立ち止まって考える必要があります。
事務所全体の生産性を下げている要因は、スタッフの作業スピードだけでなく、最終工程で発生しがちな「承認待ち」という構造的な滞留にあるかもしれません。
① 「見たいのに見られない」プレイングマネージャーの苦悩
決して、所長が業務を後回しにしているわけではないはずです。むしろ、経営者として「早く案件を完了させて売上を確定させたい」と、強く願っている所長の方が多いはずです。
しかし、自身の担当案件も抱えながら動き回るプレイングマネージャーにとって、まとまった「決裁の時間」を確保するのは容易ではありません。
結果として、スタッフがどれだけ効率的に作業を進めても、最後の確認をもらうためだけに数時間の待機時間が発生し、リードタイム(完了までの期間)が間延びしてしまうのです。
② 「場所」と「時間」に縛られる限界
問題の本質は、所長の処理能力ではありません。承認プロセスが、オフィスにいなければできない「場所と時間の制約」に縛られている点にあります。
「紙の書類」はもちろん、所内のPCでしか開けないシステムなども含め、「その場」にいなければ判断できない環境が、承認のハードルを上げています。
移動中のスキマ時間や、外出先でのちょっとした空き時間を活用できないため、結局は残業時間を使ってまとめて処理せざるを得なくなる。
この構造を取り払い、承認のタイミングを柔軟にすることが、事務所の回転率を上げるための第一歩となります。
本記事では、このボトルネックを解消するための「ステータス可視化」と、所長を楽にする「承認フローの仕組み化」について解説します。
2. 承認が遅れる本当の原因は「状態(ステータス)」が見えないから
所長の机に書類が積まれていく根本的な原因は、必ずしも物理的な場所の問題だけではありません。
より深刻な課題の一つとして考えられるのが、その案件が「今、どういう状態にあるのか」が一目で判断できない「ステータスのブラックボックス化」です。
① 「終わったの?」と聞かないと分からない非効率
例えば、机にある書類の山や、チャットツールの未読メッセージを見て、どれが「至急の承認待ち」で、どれが「とりあえずの報告」なのか、瞬時に判別できるでしょうか。
紙でもデジタルでも、この判別に時間がかかると、重要な案件が他の連絡に埋もれてしまい、「あれ、まだ見てなかったっけ?」と後手になってしまうリスクが高まります。
「これ、終わったの?」「見てもらえましたか?」といちいち口頭やチャットで確認しなければ状況が分からない。
この「確認コスト」の積み重ねこそが、本来チェックに使うべき時間を奪い、承認スピードを鈍らせている見えない摩擦です。
② 「信号機」のように、進むべき人を明確にする
スムーズな承認フローを作るために必要なのは、気合いや根性ではなく、信号機のように交通整理をする「ルール」です。つまり、案件ごとに「今、誰がボール(責任)を持っているか」を明確に定義することです。
(1)未着手(担当者): まだ手をつけていない
(2)作成中(担当者): 作業進行中
(3)承認待ち(所長): 担当者の手は離れ、所長の決裁を待っている状態
(4)完了: 承認済み
※事務所によっては、この間に「監査待ち」や「レビュー中」などの工程が入る場合もありますが、重要なのは「誰が持っているか」が定義されていることです。
このように、業務の進捗を「データの状態(ステータス)」として定義し、共有する。
そうすれば、所長は「承認待ち」のステータスになっている案件だけを抽出して処理すればよくなり、「どれを見ればいいんだ?」と探す時間をゼロにできます。
物理的なモノやチャットのログに頼らず、「ステータス」で管理すること。
これが、承認待ち渋滞を解消するための、有力なアプローチの一つと言えるでしょう。

3. 「ボール(責任)」の所在が見えれば、催促のストレスは消滅する
ステータス管理を導入するメリットは、単なる業務効率化だけではありません。
現場のスタッフと管理者、双方にかかる「見えない心理的な負担」を劇的に下げる効果があります。
① 「あの件、まだですか?」と言わなくていい
スタッフにとって、多忙な所長や上司に「あの件、チェック終わりましたか?」と催促するのは、対面であれチャットであれ、非常に気を使う行為です。
「今声をかけて大丈夫だろうか」「でも納期が迫っているし…」という小さな葛藤は、積み重なるとスタッフのエネルギーを消耗させます。
一方、管理者にとっても、申告書の査読など集中力を要する業務中に「ちょっといいですか?」と頻繁に中断が入るのは、生産性を下げる要因になります。
ステータスが可視化されていれば、スタッフは管理画面を見るだけで「現在は所長が確認中(承認待ち)」という事実を客観的に把握できます。
わざわざ確認の連絡を入れる必要がなくなり、無用なコミュニケーションと、お互いの気疲れを解消できるのです。
② 「見に行かないと気づかない」からの脱却
物理的な書類管理や、通知機能のないシステムにおける弱点は、所長が「自ら確認しに行く」という能動的なアクションを起こさない限り、承認待ちの存在に気づきにくい点にあります。
しかし、ステータス管理と連動して「承認依頼が届きました」とチャットやメールで通知が飛ぶ仕組みがあれば、状況は変わります。
所長は「通知が来た時だけ」反応すればよくなり、自ら案件を探しに行く手間がなくなります。
「見に行かないと気づかない(プル型)」から、「向こうから知らせてくる(プッシュ型)」へと情報の流れを変えること。これが、承認スピードを加速させるための重要なピースとなります。
4. 今日からできる「脱・バケツリレー」への3ステップ
「ステータス管理の重要性はわかったが、いきなり新しいシステムを入れるのはハードルが高い」
そう感じられる方も多いかもしれません。
承認フローの改革は、ツールを入れることと同義ではありません。まずは今の業務フローの中で「情報の交通整理」を行うことから始め、最終的な仕上げとしてデジタルツールを活用するのが成功のセオリーです。
今日から実践できる3つのステップをご紹介します。
ステップ①:依頼の「言葉」を定義し、曖昧さをなくす
承認が滞る隠れた原因の一つに、依頼時の「言葉の曖昧さ」があります。
「所長、これ見ておいてください」という言葉は、無意識に使われがちですが、「承認(決裁)してほしい」のか、「相談に乗ってほしい」のか、あるいは「ただの報告」なのか判別がつきません。
まずは所内ルールとして、依頼時の言葉(ステータス)を明確に定義しましょう。
(1)【承認依頼】:完成品。所長のOKが出れば顧客へ提出できる状態。
(2)【レビュー依頼】:作成途中。方向性の確認や懸念点の相談をしたい状態。
(3)【報告】: 所長の作業は不要。知っておいてほしいだけの状態。
※もちろん、「8割完成レビュー」「最終確認」など、事務所の実情に合わせて段階を細分化しても構いません。重要なのは、受け手が「今すぐ判断すべきもの」を瞬時に選別できるようにすることです。
ステップ②:承認の「松竹梅」を作る(トリアージ)
すべての案件を所長が全力でチェックする必要はありません。リスクや難易度に応じて、承認のレベル(深さ)を分ける「トリアージ」を行いましょう。
(1)松(高リスク): 新規顧問先、複雑な組織再編、税額が大きい案件 → 所長がフルチェック
(2)竹(通常):一般的な月次・決算 → 要点のみチェック(またはマネージャークラスの決裁)
(3)梅(低リスク):定型的な届出書、ゼロ申告など → 担当者+サブレビュアーで完結(所長は全体の最終判断のみ)

経営者として「全部自分で見ないと気が済まない」というのは自然な心理ですが、リスクの低いものから少しずつ権限を委譲していくことが、組織の成長には不可欠です。
ステップ③:まずは「旅費精算」などの周辺業務から
いきなり本丸である「申告書の承認」からデジタル化しようとすると、業務フローへの影響が大きく、現場の抵抗感も強くなります。
まずは「旅費精算」や「備品購入申請」、「休暇届」といった、**頻度が高く、かつ万が一ミスがあっても税務リスクにつながらない社内業務**から、クラウド承認を試してみるのがおすすめです。
「スマホでボタンを押すだけで終わる」「ハンコを押すために戻らなくていい」という実利を所長とスタッフ双方が体感できれば、「次は申告業務もやってみようか」という前向きな空気が、無理なく醸成されていくはずです。
5. 承認スピードは「事務所の回転率」そのものである
ここまで「ステータス可視化」と「ルールの整備」についてお伝えしてきましたが、なぜそこまで承認スピードにこだわる必要があるのでしょうか。
それは、承認という行為が単なる事務作業ではなく、事務所の「生産回転率(キャッシュフローの速度)」**に直結する経営活動だからです。
所長の承認が1日遅れれば、顧客への納品が1日遅れ、請求のタイミングが遅れ、ひいては事務所全体のキャッシュフローにも影響を与えます。
「ハンコ一つ押すだけの作業」と捉えるのではなく、ここを経営の重要課題として捉え直す必要があります。
① 「人力管理」がボトルネックになる瞬間
小規模なうちは、ホワイトボードやExcel、あるいはチャットツールでの管理で十分回るでしょう。
しかし、スタッフが増え、案件数が数十、数百と積み上がっていくと、汎用ツールでの管理だけではカバーしきれない場面が増えてきます。
「Excelの更新忘れでステータスが古いままだった」「チャットが流れすぎて承認依頼を見落とした」といったヒューマンエラーは、構造的に起きやすい課題であり、個人の注意力だけで完全に防ぐのは困難です。
② 「専用システム」で最後のピースを埋める
ステータス管理や承認フローを恒久的な仕組みにするためには、ワークフロー機能を持った「専用の業務管理システム(CRM等)」の活用が、有力な選択肢となります。
(1)自動リマインド: 承認が止まっている案件があれば、システムが自動で所長に通知する。
(2)証跡(ログ)の保存:「いつ、誰が、何を承認したか」が自動で記録され、税賠リスクへの備えになる。
こうした機能は、Excelや紙では実現が難しい領域です。
「ルール作り」と「トリアージ」で土台を固めた上で、最後にツールで自動化する。この手順を踏むことで、システム導入時のつまづきを大幅に減らし、スムーズな移行が可能になるはずです。
6. おわりに
本記事のまとめです。
・繁忙期は「個人の頑張り」ではなく、工学的な「プロジェクト管理」で乗り切る
・業務を「分解(WBS)」し、共通言語化することでブラックボックス化を防ぐ
・「KPI」はノルマではなく、現場のパンクを防ぐためのセンサーとして使う
・スケジュールは「全体像(マクロ)」と「個別進行(ミクロ)」を使い分ける
今回ご紹介した手法は、まずは使い慣れたExcelやスプレッドシートで「主要な案件だけ試してみる」ところから始めることができます。
もちろん、組織が大きくなり、より確実な統制と効率化が求められるフェーズにおいては、Excelの限界を超えた「専用の仕組み(業務管理システム等)」への移行を検討するのも、持続可能な事務所経営の一つの選択肢として価値が高まります。
大切なのは、ツールそのものではなく、プロフェッショナルとしての貴重な時間を「管理作業」ではなく「顧客への価値提供」に使える環境を整えることです。
まずは今年の繁忙期、現状の管理方法で「どこに無理が生じやすいか」が自然と見えてくるはずです。無理のない範囲でメモしておくだけでも、来期の繁忙期を今より軽くできるはずです。

