1. はじめに
「先生、A社の去年の修正申告のデータ、どこにありますか?」
「えっと、サーバーの『仮』フォルダになければ、私のデスクトップかも…いや、あの時は紙でチェックしてそのままだったかな…」
電話が鳴り止まない繁忙期。必要なデータが数秒で見つからず、冷や汗をかいた経験はないでしょうか。
世の中は「DXだ、ペーパーレスだ」と騒がしいですが、税理士実務の現場感覚としては、「紙」は依然として強力なツールです。
申告書を紙で出力して全体を俯瞰したり、ペンでチェックを入れたりする。この「アナログな一覧性」は、細かな数字のミスを発見する上で極めて合理的であり、無理になくす必要はないと私も考えます。
しかし、紙の利便性を活かしつつも、紙とデジタルが混在する環境には、一つだけ致命的なリスクが潜んでいます。
それは、「どれが最新の正解(原本)なのか、分からなくなること」です。
・ 税務特有の「ヒヤリハット」事例
例えば、こんな経験はないでしょうか。
「前期に修正したはずの法人税別表(別表四・五)が、サーバー上の古いフォルダから引っ張られてそのまま当期申告に使われてしまった…」
これは、紙のファイルには正しい修正履歴が残っているのに、データ側が更新されていなかったために起こる典型的な事故です。
本記事では、紙でのチェック業務を肯定した上で、こうした事故を防ぐための「安全かつ効率的なファイル管理ルール」について解説します。
2. 「紙」は使い捨てのモニター。「データ」こそが金庫の中身
多くの事務所で起きている「データの先祖返り(修正したはずが古い状態に戻ってしまうミス)」の原因は、紙とデータの役割が逆転してしまっていることにあります。
チェックの赤字が入った「紙」を正解(マスター)として大切に保管し、PCの中にあるデータを「印刷用の下書き」のように軽視していないでしょうか。
この認識のズレこそが、リスクの根源です。
① 「赤字」を入れたら、区切りのタイミングでデータを直す
最も危険なのは、「紙には修正指示が書いてあるが、データは直っていない」状態で仕事を終えてしまうことです。
その場は乗り切れても、翌年の担当者がデータを開いた際、そこに残っているのは「修正前の誤った数値」です。
これを防ぐための鉄則はシンプルです。
・「紙はあくまで、使い捨てのモニター(作業用画面)である」と割り切る
(※もちろん、証憑として保管義務のある契約書や領収書などの「真正原本」はこの議論の対象外です。また、紙のチェック業務自体をやめる必要はありません。「紙をマスターデータ扱いにしない」のがポイントです)
紙は汚しても、メモを書いても構いません。しかし、修正が発生したら、必ず「データ(金庫の中身)」を書き換える。
理想はその都度ですが、複数案件を並行していて忙しい場合でも、以下の「区切りのタイミング」には必ずデータを修正するルールにしましょう。
* お昼休憩に入る前
* 上長へ進捗報告をする前
* 帰宅する前
「データ修正が終わっていない案件は、完了とは呼ばない」。この習慣が、未来の自分たちを救います。

② 所長・リーダー主導で「データこそが唯一の原本」と合意する
アナログな業務フローを残す場合こそ、スタッフ個人の裁量に任せず、所長や実務リーダーが旗振り役となって、以下のルールを明文化(標準化)する必要があります。
・チェック用の紙資料は「参照用」であり、正本ではない
・最新の情報は、必ずサーバー(またはクラウド)内のデータに反映させる
・判断に迷ったら、紙ではなくデータを信じる
「データさえ開けば、そこに全ての正解がある」。
この状態を目指すという「合意」を所内全体で取ることが、アナログ業務を守るための第一歩であり、最大のセキュリティ対策となります。
3. 「検索窓」を一発でヒットさせる命名ルール
紙中心の運用をしている事務所こそ、デジタルデータの「ファイル名」には厳格な統一ルールが必要です。
手元の紙資料が見当たらない時、私たちが頼れるのはフォルダ階層を一つひとつ開くことではなく、PCやクラウドストレージについている「検索機能」だからです。
① 「日付_顧客名_期_内容」が最強の検索タグ
「修正後.xlsx」「決算書(最新).pdf」
このようなファイル名は、今すぐ見直しましょう。作成した本人は分かっても、半年後の自分や、引き継いだ担当者は「いつの、誰のデータか」を絶対に判断できません。
ファイル名は単なる名前ではなく、中身を見なくても分かる「要約」であるべきです。
以下の命名規則を、事務所の標準ルールとして設定することをお勧めします。
・推奨ルール:【日付】_【顧客名】_【年度(期)】_【内容】_【バージョン】
▼ 具体的な改善例
・× 悪い例:修正後.xlsx (いつの?)
・× 悪い例:〇〇様_決算書.pdf (いつの?)
・〇 良い例(法人):20250315_株式会社A_第18期_決算報告書_確定版.pdf
・〇 良い例(個人):20250310_B商店_R6年分_消費税申告書_v2.pdf
特に税理士実務では、同じような書類が毎年発生するため、法人は「第〇期」、個人は「〇年度分」とルールを決めて年度情報を入れておくことが、検索精度を上げるカギになります。
② 「v2」「v3」の定義を揃える
また、意外と盲点なのが「バージョンの基準」です。人によって「v2」の意味が違うと混乱を招くため、ここも定義を統一しておきましょう。
・v1: 初回作成
・v2: 修正1回目(所長レビュー後の修正など)
・v3: 修正2回目(顧客フィードバック後の修正など)
・確定版: 電子申告完了、または顧客納品済み
※なお、途中経過である「v2」や「v3」は上書きや削除をせず、「過去履歴」フォルダ等に残す運用を推奨します。後から経緯を追うために必要になるケースが多いためです。
このようにルールが決まっていれば、Windowsのエクスプローラーでも、MacのFinderでも、あるいは出先のiPhoneから見るクラウドストレージ上でも、フォルダを開かずに「株式会社A 第18期 決算」と打ち込むだけで、目的の最新ファイルが一発で出てきます。
4. 機密データを守る「一方通行」の印刷・共有ルール
「機密データを守る」というと、高額なセキュリティソフトやVPN(専用回線)の導入を想像しがちですが、実はもっとアナログな「抜け穴」の方がリスクです。
その代表格が、「USBメモリ」と「メール添付」です。
① 「データ」そのものを持ち歩かない
「自宅で作業したいからUSBにデータを入れる」「お客様にメールでExcelを添付して送る」。
これらは、鍵のかかっていない金庫をそのまま持ち歩くようなものです。一度複製されたデータファイルは、その後コピーされて誰の手に渡ったか追跡できず、回収もできません。
アナログな事務所であっても、データの保管場所(金庫)は「クラウドストレージ(Box、Dropbox等)」に一本化することをお勧めします。
(※クラウド利用に抵抗がある場合でも、所内サーバー内の“1か所”に統一し、そこ以外への保存を禁止するだけで同様の効果があります)
これには2つの明確な目的があります。
(1) USB禁止 = セキュリティ対策(紛失・拡散の防止)
(2) 一元管理 = 最新データ管理(先祖返りの防止)
セキュリティのためだけでなく、「常にそこにあるファイルが最新である」という状態を保つために、保管場所の一本化は必須なのです。
② 「一方通行」の運用イメージ
具体的には、以下の3つのルールを推奨します。
(1) USBは原則禁止(推奨):
紛失リスクが高いため、原則としてデータの持ち出しにはUSBを使用しない運用を推奨します。
(2) 共有は「パスワード+期限付き」URLで:
外部に送る際は、ファイルそのものではなく「共有用URL」を発行して送ります。ファイル添付だと、相手側で「どれが最新版か」の判別がつかず、誤って古いデータを使われてしまう事故も多発します。URL共有であれば、常に最新のものを参照してもらえます。
(3) 印刷はクラウド(サーバー)から直接行う:
紙にする際も、個人のデスクトップに保存してからではなく、所定のフォルダから直接印刷します。これは、ローカルに保存することで「印刷用の古いデータ」が個人のPCに残り、そこから誤って作業が再開される事故(先祖返り)を防ぐためでもあります。
5. フォルダ構成は「顧客の棚」を再現する
最後に、データの「置き場所」についてです。
PCの中が整理されていないと、誤って別の顧客のフォルダに保存してしまう「取り違え」が発生します。これを防ぐコツは、デジタルのフォルダ構成を、物理的な「キャビネットの棚」と全く同じにすることです。
① 階層は3つまで。迷路を作らない
複雑なフォルダ分けは、保存する時の迷いを生みます。誰もが迷わず保存できるよう、階層はシンプルに統一しましょう。
▼ 推奨フォルダ構成(サンプルパス)
[サーバー/クラウド] > [001_株式会社A] > [第18期] > [01_申告書]
具体的な構造は以下の通りです。
(1)【第1階層:顧客名+ID】
同名の会社(〇〇商事など)との取り違えを防ぐため、「001_株式会社A」のように固有の管理コードをつけることを強く推奨します。
(2)【第2階層:決算期】
(第〇期、令和〇年分など)
(3)【第3階層:種別】
(①申告書 ②元帳 ③届出書 ④預かり資料)
種別フォルダの頭に数字(01, 02…)を振っておくと、並び順が固定されるためさらに探しやすくなります。
そして重要なのは、「その他」フォルダや「一時保存」、「デスクトップ」への保存を極力減らすことです。
物理的な書類を床に散らかさないのと同様、データにも必ず「住所」を決めて保存させる。
この整理整頓こそが、ウイルス対策ソフト以上に、ヒューマンエラーによる紛失事故を防いでくれます。
6. おわりに
本記事のまとめです。
・紙のチェック作業は残してOK。その代わり「データ=唯一の原本」を徹底する
・ファイル名は、OS問わず検索するための「タグ(年度を含む)」である
・高価なツールを入れる前に、まずは「置き場所(住所)」を決めること
「あのデータどこ?」と探している時間は、セキュリティリスクそのものと言えます。
整理されたデジタル環境があれば、アナログな業務はもっと安全で快適になるはずです。
まずは事務所内で「ファイル名のルールをひとつ決める」ことから始めてみてはいかがでしょうか。その小さな一歩が、事務所の安全と効率を大きく高めてくれるはずです。
